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広島高等裁判所 昭和51年(う)63号 判決 1977年6月09日

本籍

広島県竹原町忠海町五四〇五番地

住所

右同所

会社役員

吉田徳成

昭和四年一月一八日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五〇年一二月二四日広島地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は検察官稲垣久一郎出席のうえ審理をして、次のとおり、判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人鍵尾豪雄作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は広島高等検察庁検察官山本視叙作成の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

弁護人の論旨は要するに、原判決は被告人の昭和四五年一月一日から同年一二月三一日までの所得金額を一、七八三万八、二五七円、これに対する所得税額を七六五万六、二〇〇円と認定しているが、これは次の点で事実を誤認している。即ち、原判決は(一)福徳相互銀行生野支店(以下福徳生野支店という)の普通預金口座番号五四八九三、吉田徳成(旅路)名義のものを被告人の資産として計上したが、右預金は被告人の資産ではなく、被告人の妻美智子に帰属するものであり、(二)妻美智子からの借入金として、昭和四五年度に発生した生活費六〇万円と、同年度に発生した洋酒喫茶「いずみ」の売掛金(控訴趣意書及び原判決に「買掛金」とあるのはいずれも誤記と認める)減少額相当の九一万円合計一五一万円を認めたにすぎないが、被告人は日本万国博覧会(以下万博という)の会場内における店舗の開店準備資金として、妻から昭和四四年度中に四〇〇万円、翌四五年度中に八四七万円合計一、二四七万円を借入れており、(三)被告人の資産として割引債券四七一万九、五〇〇円を計上しているが、右割引債券は、被告人が二名の外商から売上金を預り保管中、同人らと紛争を生じたため支払わないまま所持していた約五〇〇万円のなかから購入したもので、これは買掛金の引当となるべきものであり、事実被告人は昭和四六年一〇月ごろ、右割引債券を解約して買掛金の支払に充当しているから、この割引債券を資産の部に計上するのであれば、当然負債の部に同額の買掛金を計上すべきであるところ、原判決はこれを排斥したうえ、結局被告人の昭和四五年度における所得金額並びに所得税額を前記のとおり誤つて認定し、さらに(四)原判決は被告人に所得税逋脱の犯意がある旨認定しているが、被告人が万博協会の指定外銀行に入金したのは、福徳生野支店から融資を受ける際の条件に従つてやむなくしたものであり、また同支店における多額の仮名定期預金の設定は被告人の関知しないところであつて、本件は単純な過少申告というべく、右のような事実から被告人に逋脱の犯意を認めたのは事実を誤認している、というのである。

そこで所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の関係各証拠を総合すると、逋脱の犯意を含めて原判示事実を認めるに十分であるが、以下順次考察する。

(一)  福徳生野支店の普通預金(口座番号五四八九三)について。

所論は、被告人の妻美智子はかねてスタンドバー「旅路」及び洋酒喫茶「いずみ」を経営していたものであるが、万博期間中「旅路」は閉店したが「いずみ」の方は引続き営業していたのであつて、本件預金口座にはその肩書に右美智子経営にかかる「旅路」の名称が記載されており、その預金高も少額であることから考えると、右預金は被告人のものではなく、右美智子が「いずみ」の営業による収入を預入したもので、同女に帰属するとみるのが相当であると主張する。ところで、被告人の妻美智子が「旅路」及び「いずみ」を各経営し、万博中も「いずみ」だけは営業を続けていたこと、本件預金口座に「旅路」の名称が記載されていることは、いずれも所論指摘のとおりであるが、しかしながら、原判決の挙示する被告人の大蔵事務官に対する昭和四七年四月一一日付、同月一二日付各質問てん末書、原審証人松嶋康夫(原判決中「松島康夫」とあるのはいずれも誤記と認める)の証言、福徳生野支店長松岡宏作成の証明書及び大蔵事務官柴田元隆作成の調査事績報告書によると、本件預金は福徳生野支店に昭和四五年一月五日設定されたものであるところ、同支店の普通預金口座番号五四九〇二、吉田徳成(万博)名義(これが被告人に帰属することについては争いがない)も右と同一の日に設定されており、「右両預金の届出印鑑は同一で」、同支店においても被告人名義の同じ得意先カードに「両預金を記入し同じ取扱い」をしていること、被告人が「万博の協力金として受領した金額の一部を本件預金口座」に入金していること、さらに「食堂「R27」の権利取得のための資金中二〇万円及び万博期間中の生活費の一部が、いずれも本件預金」から支出されていることがそれぞれ認められ、これらを総合すると、本件預金は被告人に帰属するとみるのが相当であつて、所論に添う被告人の原審及び当審における供述は、前認定事実と対比して措信しがたい。

(二)  妻美智子からの借入金について。

所論はまず、被告人は万博開催前から無職で収入はなく、万博会場内で営業を行うための開店準備資金は第三者から借入れるほかなかつたところ、被告人の妻美智子は昭和三六年六月初めごろスタンドバー「旅路」を開店し、同四一年三月ごろには洋酒喫茶「いずみ」をも開店経営して収入を得ていたので、被告人は妻から昭和四四年度中に四〇〇万円、同四五年度中に八四七万円(原判決は前記のとおり、この内金一五一万円を妻からの借入金と認めたのみである)合計一、二四七万円を借入れたものであり、被告人が昭和四四年度末において手持現金四九〇万円を保有していたことは、右四〇〇万円の借入金を考慮せずには算定できないと主張する。しかしながら、原判決の挙示する被告人の大蔵事務官に対する各質問てん末書、原審証人青木頼夫、同吉田美智子の各証言、福寿信用組合今里支店長清水利造、福徳生野支店長松岡宏作成の各証明書、大蔵事務官山本守人、同青木頼夫(売上金額の確定に関するもの)、同菅近保徳(三福信用組合関係のもの)作成の各調査事績報告書を総合すると、被告人は査察の段階で借入金の有無について再三尋ねられ、相当程度の借入金があることを供述していながら、妻美智子からの借入金に関しては全く述べておらず、却つて被告人が万博会場で経営した店舗の開店準備資金は、被告人の兄弟や福寿信用組合今里支店等からの借入金、福徳生野支店の預金の払戻し、万博の協力金等でまかなつたことが認められ、妻から金員を借入れる必要はなかつたこと明白である。被告人の妻美智子は、原審において被告人に対する融資に関し所論に添う証言をしているが、融資した多額の金員はすべて自宅に現金のまま所持していたもので、金融機関には預入しないことにしていたというのであつて、その供述自体合理性を欠きたやすく措信できないところ、前掲証拠によると、同女は三福信用組合本店から「昭和四四年一月一八日六万円、同年二月八日三〇万円、同年六月一六日二〇万円を利息を支払つてまで借受け、そのうち六万円と三〇万円の合計三六万円を被告人に貸与していることが肯認でき、当時同女が所論ののような大金を手許に所持していたとは到底認められない。のみならず、当審における事実取調の結果によると、「美智子の昭和四三年度の申告所得は五五万円にすぎず、昭和四四年度、同四五年度は所得の申告」さえしていない」のであり、同女の経営していた「旅路」及び「いずみ」の店舗はいずれも狭小であること等が窺われ、所論のような大金を蓄えることができたとは考えられないところである。さらに前掲証拠によると、被告人も認めて争わない昭和四四年一二月三一日現在における手持現金四九〇万円は、妻からの借入金を考慮しないで算定可能であつたことが肯認できるから、所論に添う被告人の原審及び当審における各供述はいずれも信用しがたい。

所論はまた、原判決は、被告人が査察の段階で妻からの前記借入金について供述していないことを理由の一に加えて、この点に関する被告人の検察官に対する供述調書中の記載や、被告人の原審公判廷における供述の信用性を否定しているが、被告人は国税局の査察により大変なシヨツクを受け、告発を免れたい一心で取調官に対し迎合的な供述をしたり、自己に有利な妻からの借入の事実につき十分な供述をしなかつたため、右のような結果になつているにすぎないのであるから、原判決が前記のように、この点をとらえて被告人の供述の信用性を否定したのは条理に反するとも主張する。確かに、被告人の検察官に対する昭和四九年三月一〇日付供述調書には、妻美智子からの借入金が約一、〇〇〇万円あるとの記載があるが、美智子が当時右のような大金を所持していたとは認めがたいこと既に説示したとおりであり、原判決もほぼ同様の理由を判示しており、査察段階でのことは、被告人の検察官に対する右供述や原審公判廷における供述の信用性を否定する一理由にすぎないこと原判文上明らかであるから、所論は採用できない。

(三)  割引債券に関する主張について。

所論は既に述べたとおりであつて、要するに、割引債券は外商に対する買掛金の引当となるもので、これを資産の部に計上するのであれば、その数額に相当する四七一万九、五〇〇円を昭和四五年度中に発生した買掛金として負債の部に計上すべきものであるところ、原判決はこれを認めなかつたから失当である、というのである。しかしながら、被告人の検察官に対する昭和四八年一二月二一日付供述調書によると、被告人は昭和四五年中に購入した本件割引債券を翌四六年になつて売却し、その代金を外商に支払つた旨供述しながら、その検察官に対する昭和四九年三月七日付供述調書では、昭和四六年十〇月ごろ右割引債券を売上金返済のかわりに外商へ渡したとも述べ、その供述は一貫性を欠いているだけでなく、被告人の大蔵事務官に対する各質問てん末書を精査しても、外商に対する未払金等があるとの供述は全くなく、僅かにこれに関する供述として、万博の期間中に本名かどうか不明だが、井上道夫なる者に対し三七〇万円、四〇〇万円、二八六万余円をいずれも小切手で支払つたとの記載が存するのみで(昭和四七年五月九日付質問てん末書)、前記検察官に対する供述と矛盾しており、さらに原審証人青木頼夫の証言によると、同証人は疑問をもちながらも、最終的には被告人の右井上に対する支払いを認めてその所得を計算したこと、また被告人は同証人に対し、本件割引債券は友人との付合上購入したにすぎない旨述べたことがそれぞれ認められ、所論に添う被告人の原審及び当審における各供述はいずれも不自然で到底信用できず、割引債券相当額を負債の部に計上しなかつた原判決の判断に誤りはない。

(四)  逋脱の犯意がないとの主張について。

所論は前記のとおりで、要するに本件は単純な過少申告というべく、被告人に逋脱の犯意はないと主張する。ところで、いわゆる過少申告逋脱犯における犯意は、納税義務者が計数的に正確な所得額ないし逋脱額を認識しなくとも、実際の所得額より過少である所得額と、これに対応する税額を記載した確定申告書を税務署長に提出することの認識(いわゆる概括的犯意)があれば足りると解するのが相当である。これを本件についてみるに、被告人は原審第一回公判において、所得税を免れようと企てたこと、所得金額及び所得税額については争いながらも、原判示のような所得金額、所得税額を記載した確定申告書を竹原税務署長に提出したことは認めていること記録上明らかであり、また被告人の大蔵事務官に対する昭和四七年二月二五日付質問てん末書をみると、「万博で儲けた金を全部申告する気になれず、実際の儲けより少く所得税の申告をした」旨明確に供述しているのであつて、被告人に前記概括的犯意があつたことは優に肯認でき、犯意を否定する被告人の原審及び当審における各供述はいずれも措信できない。従つて多少理由は異るが、被告人に逋脱の犯意があると認定した原判決の判断に結局誤りはなく、所論は採用できない。

以上説示したとおり原判決の判断は正当で、所論のような事実誤認はない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条に則り本件控訴を棄却することとして主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 干場義秋 裁判官 谷口貞 裁判官 横山武男)

○ 昭和五一年(う)第六三号

控訴趣意書

被告人 吉田徳成

右被告人に対する所得税法違反被告事件の控訴の趣意は、次のとおりである。。

昭和五一年三月二七日

弁護人 鍵尾豪雄

広島高等裁判所

第四部 御中

第一点、事実誤認。

原審は、昭和四五年三月一日から、同年九月一三日までの期間、大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会会場で、被告人は売店「広島吉田屋」及び食堂「R27」を個人経営し、昭和四五年一月一日から、同年一二月三一日までの期間において、被告人の得れ所得金額を一七、八三八、二五七円、これに対する所得税額を七、六五六、二〇〇円とそれぞれ認定されたが、被告人の所得金額および所得税額を、そのように認定されたのは、事実の誤認である。

(1) 原審は、福徳相互銀行生野支店の普通預金、口座番号五四八九三、吉田徳成(旅路)名義のものを、被告人の資産として計上された。

然しながら原審証人松島康夫は、公判廷において「この普通預金口座の開設には関係していないが、昭和四五年六月、八月、九月ころの入金は、被告人の妻(美智子)が、福徳相互銀行生野支店に来て入金されたと思う。この入金は万博関係の入金ではないと思う。私が西口売店の方で受取つて入金した口座は、肩書に「万博」とか、「スーベニヤ」とかいう記載のある口座である。」旨、証言した。

尤も、右松島は、検察官の問に対し、「万博期間中は、旅路は営業していないから、万博関係の入金だと思う、旨、同証人が質問てん末書で述べている方が正しいと思う。」旨の証言もした。

ところが、証人松島康夫の初めの証言に出てくる「四五年六月、八月、九月ころの入金は、被告人の妻が銀行に来て入金されたと思う。」旨の証言、および「万博の西口売店の方で金を受取つて入金した口座は、口座の肩書に「万博」とか、「スーベニヤ」の記載のある口座である。」旨の証言は、同証人の後の証言によつて取消されてはいない。

ただ問題として残るのは、「万博期間中は、旅路は営業していないから、万博関係の入金だと思う、」旨の証言の証明力が問題となる。

被告人の妻美智子は、スタンドバー「旅路」と洋酒喫茶「いずみ」とを経営していたものなるところ、万博期間中「旅路」は閉店していたが、「いずみ」の方は閉店することなく引続き営業していた。(原審証人吉田美智子の証言)

この点について、原審証人青木頼夫は、検察官の「それで、四五年度の被告人の所得は、どういつたところから算出されたのか、大まかでよろしいんですが覚えておられたら。」との問に対し、「被告人は東大阪市において、「旅路」だつたと思いますが、いわゆる飲食店をやつておつたけれども、万博開始の年には、それをはずして休業して、万博に専念したということでございます。したがつて、私は万博期間中における所得税調査をやりました。」と答え、次いで「「いずみ」という店ではありもせんか」との問に対し、同証人は、「「旅路」それから「いずみ」という店があつたようですが、当時どちらが残つてたかは現在よく記憶しておりません。」と答え、更に「一方は残つておつたわけですか、」との問に対し、「確か一方が残つていたと記憶します。」と答えている。

これら吉田美智子および青木頼夫の各証言を綜合すれば、被告人の妻、美智子は、万博期間中も「いずみ」を経営して、収入を得ていたこと誠に明らかである。

ところで、本件普通預金口座には、その肩書に被告人の妻美智子が経営する「旅路」の商号が記載されておるのみならず、その預金高も少額であるところから、これは「旅路」を経営している美智子が、「いずみ」からの収入をもつて預金したものとみるのが相当である。

なお、原審証人吉田美智子の証言、および被告人の原審第八回公判廷における供述によれば、本件普通預金は美智子のものと述べているのであつて、これらの関係証拠を綜合すれば、本件普通預金は、美智子のものと認めるに十分といわなくてはならない。

(2) 原審は、被告人の妻、美智子からの借入金を、昭和四五年度に発生した生活費の六〇万円と、昭和四五年度に発生した洋酒喫茶「いずみ」の買掛金減少額相当の九一万円との合計一五一万円を認め、その余の被告人の借入金の主張をしりぞけられた。被告人は妻、美智子から、昭和四四年度中に四〇〇万円と、翌四五年度中に、七五六万円との合計一、一五六万円を借入れた、旨供述し、(被告人の原審第七、第八、第九、第一〇回公判廷の供述)美智子も、また、これと同旨の証言をした。(原審証人吉田美智子の証言)

然るに原審は、「当公判廷における、証人青木頼夫の供述によれば、同人の調査に際し、被告人から、この点に関する何等の供述もなかつた」旨の証言を採用し、その後行はれた検察官並びに公判廷の取調べの際、前記のように、美智子から合計一、一五六万円を借入れた旨の被告人の供述は、措信することができない、として、被告人の供述をしりぞけられた。

然しながら、被告人は、いきなり国税局の査察を受けたことに、大変なシヨツクを受けた。

それ故、被告人は、ひたすら告発をされずに済ませてもらうように考え、調べに対し、迎合的な供述をししたり、或は、自分に有利なことでも、強いて自分の方から強い表現はしなかつた。被告人はこの時点の心境につき、「本日申し上げたことは間違いありません。また今後の調査にも協力いたしますから、早くご当局で計算して頂き、納ゆるべき税金は納めますから、ご寛大な処置をお願いします。」と述べている。(昭和四七年二月二五日付被告人の質問てん末書末尾)

被告人のこの供述の趣旨は、被告人に対する国税局の査察は、査察の段階で打切つてもらいたい、というのが真意である。

それ故、被告人は出来る現り低姿勢で取調べに応じ、強い発言をすることを差し控えた。

このような考えから、被告人は、自分に有利な、妻からの借入れの事実についても、十分な供述をしなかつた。

ところが、被告人に対する取調べは、査察の段階で終了することなく、事件は検察庁へ告発されるに到つた。

被告人は驚くとともに、事件が刑事事件にまで発展したとなると、安易な妥協は許されず、被告人は、検察官に対し、あつたことは、あつたように、また、なかつたことは、なかつたように供述することになつた。

そこで、被告人は、査察の段階で十分述べていなかつた妻、美智子から一千万金以上も借入れていたことを検察官に述べて、その調書を作つてもらつた

即ち、検察官の「四七年四月一二日付の査察官に対する君の質問てん末書には、君の妻が作つた資金一千万円の供述はないがどういうわけか。」との問に対し、被告人は、

「妻から資金が出ていることは話しましたが、証明するものがないということで、聞いて貰えませんでした。」と供述している。(昭和四九年三月一〇日検察官に対する被告人の供述調書)

このように被告人は査察の段階で妻からの借入れの事実について述べていないとしても、それから後に行はれた検察官の取調べに対し、妻からの借入れの事実を述べているのに、原審は、査察の段階で述べていないことを理由の一つに加えて、被告人の供述の信用性の有無を判断されているが、これは条理に反するものと思料する。

また、原審は、「右借入金を加算せずとも、判示事業の開業までに要した費用と対比し、資金準備に不足はなく、被告人も認めている昭和四四年度末の手持現金四九〇万円は、右借入金を考慮せずに算定されたものであることが認められる。」旨説示された。

然しながら、被告人は、万国博覧会開催前から無職であつて、収入はなかつた。

したがつて、万博会場内にて営業を行うについては、その開店準備資金は、これを第三者からの借入れに求めるよりほかはなかつた。

そこで被告人は、親類、知人または、銀行などから融資を受けて開店準備金を作つた。

被告人の妻美智子は、昭和三六年六月初ころスタンドバー「旅路」を開店し、次いで昭和四一年三月ころ、洋酒喫茶「いずみ」を開店経営していた。(原審証人吉田美智子の証言)

万博は昭和四五年三月一五日開会されたのであるから、美智子は右の開会まで約九年間近い間バーや喫竹店などを経営して収入を得ていたことになる。

そこで、被告人美智子から、昭和四四年度中に四〇〇万円を、昭和四五年度中に八四七万円、合計一、二四七万円を借入れたほか、昭和四四年中山本俊三から三〇〇万円、吉田弘幸から八〇〇万円、二木都子から二〇〇万円、亀井組から一〇〇万円を借入れ、昭和四五年度中、福徳相互銀行生野支店から四〇〇万円を借入れた。

そこで、昭和四四年度中の収入金と、その支出の状況とを計算すれば、収入金合計一、八〇〇万円となり、支出金は、一、二六六万五、四七七円となつて、差引現金残高五三三万四、五二三円となる。その明細は、別紙添付の年度別収支明細書記載のとおりである。(開店準備資金の収支状況は、被告人の昭和四七年四月一二日付質問てん末書、四九年三月一〇日付検察官に対する供述調書、原審第八、第九回公判調書)

右明細書の現金残高五三三万四、五二三円と、原判決書添付修正貸借対照表に掲げてある勘定料目「現金」の過年度金額四九〇万円との間には四三万円余りの差額が生ずることになるが、この約一割位の差額は、多分雑費に支出されたものと思はれる。いずれにしても、被告人が昭和四四年度末において、手持現金四九〇万円を保有していたということは、同年度中、被告人が美智子から借入れた、四〇〇万円の借入金を考慮せずには算定することはできないところであつて、若し美智子からの四〇〇万円の借入金のないときは、同年度中手持現金四九〇万円は存在しないことになる。

(3) 以上(1)(2)の関係証拠を綜合するときは、被告人は万博内の開店準備資金として、妻から昭和四四年度中四〇〇万円を、翌四五年中、八四七万円の合計一、二四七万円を借入れたことを証明するに十分である。

然るに原審は、被告人のこの主張をしりぞけられたが、これは事実誤認というべきである。

(4) 原審は、資産としてある割引債券の数額に相当する四七一万九、五〇〇円を昭和四五年度内に発生した買掛金として計上すべき旨の被告人の主張をしりぞけられた。

然しながら被告人は検察官に対し大要次のように述べている。「万博が始まつて一か月余した四五年四月ころから、万博会場や西口や北口に、的屋のような行商人が万博協会の許可なしに行商するようになつた。昭和四五年六月ころ、二人連れの行商人が被告人に売上の中から口銭を払うから場外売りを認めてくれと言つて来たので、被告人は外商の売上金の中から、二割の口銭を差引いて残額を返えすことを条件に場外売りを認めたところ、八月中ころになると外商の売上高が少なくなつた。そこで九月末にそのことを相手に追求したところ、相手は、ごまかしを認めなかつたので、被告人は、八月と九月の売上金として頂つていた約五百万円を相手に支払はなかつた。

その後被告人に割引債券を買つたので、資産の部に四七一万九、五〇〇円を計上し、これは買掛金の引当となるので、負債の部の買掛金の方へ同額を計上することになつた。

被告人は、昭和四六年一〇月ころ割引債券を解約して買掛金の支払に当てた。(原審証人戸能弘の証言、被告人の昭和四九年三月七日検察官に対する供述調書、および原審第八、第九回公判廷における供述)

このような訳で、割引債券と買掛金とは、対照となるのであるから、割引債券を資産の部に計上することになれば、負債の部には当然買掛金を計上すべきことになる。

然るに原審は、資産の部に割引債券を計上しながら(尤も原審が資産の部に割引債券を計上した趣旨と、被告人の主張する趣旨とは、異なるのであるが)負債の部に買掛金を計上していない。

(5) 以上(1)及至(4)に述べたとおり、原判決には事実認定について誤りがあり、その誤認は、ひいて昭和四五年中の被告人の所得金額を一七、八三八、二五七円とする原判決の認定にも及ぶことになり、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は、この点において破棄を免れないと思料する。

第二点、事実誤認。

原審は、被告人が万国博覧会協会の指定銀行である三和銀行本店、および住友銀行本店に売上金の全部を預入しないで、その一部を他の指定外銀行に入金したこと、並びに、昭和四五年末ころ、福徳相互銀行生野支店において、多額の仮名の定期預金を設定していることを認定され、このような事実に照らして、被告人に所得税ほ脱の犯意を認められた。

然しながら、

(1) この点につき、被告人は、原審公判廷において、「私らは三和銀行とか、住友銀行とかは、縁遠いところであつて、金を借りるにしても、相互銀行から借りるのが精一杯である。」と述べている。

そのようなわけで被告人は、万博会場内に開業する前に、福徳相互銀行生野支店から、開業準備資金として四〇〇万円を借入れたが、その金を借入れるとき、右相互銀行生野支店から、「万博で商売をするのなら、取引をするときは、福徳相互銀行生野支店を通してやつてくれ」との申出があり、被告人もこの申出を容れて、右に述べた四〇〇万円の融資を右支店から受けたいきさつがある。(被告人の原審第九回公判廷の供述)

この点につき、福徳相互銀行生野支店職員寺井諦一は、大蔵事務官に対する質問てん末書において、「吉田徳成との取引は、万博の準備期間のはじまりである昭和四四年八月ころから当店と取引が始まつている。………このような経過があつて、昭和四五年一月ころ、吉田徳成が個人で万博の営業参加するからといつて、準備資金として、四〇〇万円の融資を申込んできた。当支店としては、回収に懸念があり、いろいろと検討した結果、万博関係取引の預入等を条件に不動産担保で昭昭四五年二月一九日に融資を実行し、以後現在まで取引が続いている。」旨供述しておる。

また、当時、福徳相互銀行生野支店職員松島康夫は、原審公判廷において、「被告人の方から融資の申込みがあつたこと。融資をするが、その代りに右支店に金を預けてくれ、ということがあつた、」旨証言し、更に「最初被告人と取引を開始したのは、上島であり、融資したのは、四〇〇万円であつた。」旨証言した。

以上の関係証拠を綜合するときは、被告人は、万博会場内で開業する準備資金として、昭和四五年二月一九日福徳相互銀行生野支店から四〇〇万円を借入れたが、その借入れには、被告人が万博で得た売上金は、これを右支店に預入することが条件となつていることを知ることができる。

このような訳で、被告人は売上金を万博協会の指定銀行のほか、その一部を右福徳相互銀行生野支店へ預入したが、これは融資の条件のため、やむを得ずそのようにせざるを得なかつたのであつて、原判決の認定するように、所得税ほ脱をはかるため、そのようなことをしたのではない。

(2) 次ぎに、昭和四五年一二月一五日ころから福徳相互銀行生野支店の定期預金を、二五口の仮名の定期預金に切替えたことについて被告人は、銀行員がしたことで自分には判らない、旨供述している。(被告人の昭和四九年三月七日付検察官に対する供述調書、原審第九回公判廷における供述)

この点について、松島康夫は、大蔵事務官に対する質問てん末書において、「昭和四五年一二月一五日から、昭和四五年一二月二九日にかけて、本名から仮名に名義を切替えるよう徳成から指示を受け、名義等すべて私にまかせられたので、上島、寺井および私が適当な名義をつけて二五口で一九、〇〇〇、〇〇〇円を本名定期預金から切替えた。」旨供述している。

ところが証人松島康夫は、原審公判廷で、「四五年末、吉田本人に帰属する仮名の定期預金がかなりの数発生している。これは店頭でやられたんだと思う。私自身ではなく、上島、寺井などがタツチしておる。……解約のことはなく、自分はやつていない。」旨証言した。

これによるときは、松島康夫は仕事の担当が違うので、名義切替えには関係しておらず、したがつて、被告人から指示を受けて名義切替え作業を行つたことはないというのであるから、同人の質問てん末書の右供述は措信することができない。

本名の預金を仮名に名義を切替えたり、或は一口の預金を多数の口数に分けたりすることは、銀行員の協力なくしては不可能なことである。

ところが、関係証拠によるも、被告人のほかに、名義切替えに関係した銀行員は誰であるか、また、謀議の日時、場所、更に謀議の内容など一切明らかとなつていないし、また一口の預金を多数の口数に切替えた実行行為担当者も特定していないままに終つている。

本件預金名義の切替作業は、複数の人の協力によつて行はれたとすれば、その共犯者の取調べもなく、また共犯関係の内容も明らかとなつていない現在の時点において、名義切替えの発議者を被告人と断定し、被告人に所得税ほ脱の犯意を認めた原判決は採証の法則に違反して事実を誤認したものということができる。

(3) 以上(1)(2)に述べた関係証拠を綜合するときは、本件は単純な過少申告というべきであつて、ほ脱罪の故意を欠くものということができる。

然るに原審は、被告人に、ほ脱罪の犯意を認め、有罪の判決の言渡をされたが、これは事実の誤認であつて、判決に影響することが明らかであるから、原判決は、この点において、破棄を免れないと思料する。

年度別収支明細書

<省略>

○ 昭和五十一年(う)第六三号

控訴趣意書

被告人 吉田徳成

右の者に対する所得税法違反被告事件につき、被告人の控訴の趣意は、次の通りであります。

昭和五十一年三月二七日

被告人 吉田徳成

広島高等裁判所

第四部 御中

第一点。事実誤認。

原審は、被告人の昭和四五年一月一日から同年十二月二十一日までの期間に於ける所得金額を一七、八三八、二五七円と認定されましたがこれは事実の誤認であります。

被告人の所得金額は金三、七五一、〇一一円でありまして、その明細は別紙修正貸借対照表のとおりであります。

なお、年度別の収支明細も添付いたします。

修正貸借対照表

昭和45年12月31日現在

<省略>

(1) 福徳/生野 吉田徳成No.54893の107,746円は旅路(経営者吉田美智子)のもの。

(2) 前払費用

(イ) 当初分 7,226,120

(ロ) エキスポ食堂獲得に用した諸費用1,900,000円

(ハ) 車輛購入費400,000円 ロ、ハ、計上もれ

計9,526,120円

(3) 借入金

(イ) 判決では44年中発生の借入金12,110,000円となつているが外に吉田美智子より4,000,000円二木都子より2,000,000円の借入れがある。

計18,110,000円となる。

(ロ) 45年中発生の借入金が次の通りあります。

(1) 36万円(吉田美智子が銀行から借りた分)

(2) 設備資金45年3月~オープン迄6,600,000円

(3) 吉田美智子が立替た当年中の生活費60万円を借入金に振替た。

(4) いずみの売掛金減少額91万円が借入となるが故に借入金に振替た。

合計8,470,000円

(4) 買掛金

割引債券の4,719,500円分が残となつています。

(5) 注

イ 収入の部と支出の部の昭和44年12月31日の現金の残高は5,334,523円となり貸借対照表の現金残高は490万円となつている。この差額の使途については明らかでない。

ロ 万博事業資金は当初吉田ブラザーズの資金の内より西口売店の一部支払されたのですが昭和44年11月末に解散したので其の吉田ブラザーズの資金については、其の時点にて清算されている故に吉田徳成個人との資金とは係わりはなく別紙資金収支明細書の通りであります。

年年別収支明細書

<省略>

年度別収支明細書の説明書

収入の部の明細書

1. 山本俊三が福寿今里信用より借入た300万円を私が又借りしたもの。

300万円

2. 吉田弘幸は私の弟で万博事業資金として2~3回にわけて借入たもの。

800万円

3. 白樹分は二木都子より44年中に借入たもの。

400万円――に対し同年中200万円支払つたので過年度末借入金200万円となる。

4. 吉田美智子からの借入金は昭和44年400万円、昭和45年847万円。

計1,247万円

5. 亀井組よりの借入金。100万円

6. 福徳/生野より事業資金として借入たもの。400万円

支出の部明細書

1. 西口売店の施設使用料権利金として協会に対し5,226,120円を支払つた。其の他コンテナ代、保険料、土地使用料、合せて70万円。合計5,926,120円

2. エキスポ南武雄に権利金として支払したのが300万円である。

3. 内装費その他の工事に用したのが西口売店400万円

4. 受入資金の内より福徳生野支店に609,357円預金をしたものである。

5. 内装費エキスポ及び備品其の他の費用として400万円

6. 西口R4売店獲得に用した交際費其の他経費として使用した額約200万円。

7. エキスポ食堂獲得に南さん他、其の他に使用した交際費が190万円。

合計390万円。

8. 亀井組への貸付金200万円、藤原明へ50万円。

9. 開店当時の運転資金として手持現金500万円。

万博開業準備時の車購入手付金40万金支払。

収入金、支出金との差405,477円はよくわかりませんが以上の計算になります。

よつて収支は明確であります。

借入も以上の額が必要であり明細通り借入れことが明白であります。支払に関しても協会確認の上国税も認めたものをまとめたものであります。

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